近代産業の土台を作った石炭

 石炭は18世紀の産業革命の原動力となった重要なエネルギー資源です。石油がほとんど産出しない日本でも、明治以後の産業の発展を支えたのは、主に九州北部と北海道から産出した石炭でした。
日本の石炭の大部分は、第三紀層、特に4,000万年前以降の新しい地層から産出します。しかし世界の良質の石炭は、約3億年前の石炭紀から二畳紀、更に中生代の地層に賦存しています。石炭は、水生や陸生の植物が沼沢地などに堆積し、地下深くに埋もれて、長い時間の間に炭化したものです。時間が経過する程炭化が進むので、世界の古い時代の石炭に較べると、日本の石炭は規模の点でも炭質の点でもかなり見劣りがすると言わざるを得ません。
 石炭は、発熱量や粘結性で、無煙炭・瀝青炭・亜瀝青炭・褐炭などに分類されています。中でも瀝青炭は重要な資源で、強粘結性のものは原料炭と呼ばれ、コークスの原料として製鉄産業に欠かせないものです。また発熱量の低い褐炭などは、暖房や、繊維工業・陶磁器工業などの貴重なエネルギー資源です。

日本の石炭・亜炭産業

亜炭採掘小屋(ここから立坑が降りていた)1970年代の御嵩町に見られた採掘跡

 日本には100億トン以上の石炭埋蔵量があり、エネルギー資源として重要な役割を果たしていました。しかし高発熱量の無煙炭や原料炭の産出量は少なく、多くは一般炭や、更に亜炭が利用されていました。なお亜炭とは、日本固有の名称で国際的な分類での褐炭に属します。

 第二次大戦中石炭が増産されたのは勿論ですが、戦後の復興期には、傾斜生産と呼ばれた石炭増産政策が実施され、石炭産業は空前の盛況を迎えました。1950年代始めには、稼行炭鉱数は900を越し、年間生産量も一時は5,000万トン以上を記録していました。また1951~55年には、通商産業省の「全国埋蔵炭量炭質統計調査」が実施され、亜炭も含めて全国の炭田の詳しい地質状況・炭質が報告されています。
 しかし1960年代に入ると、石炭から石油へのエネルギー転換が世界的な潮流となりました。日本でも埋蔵量の減少と採掘条件の悪化に伴い多くの炭鉱が閉山し、さまざまな社会的な問題が引き起こされました。最後まで残っていた釧路の太平洋炭鉱が閉山したのは、つい数年前(2002年)のことです。
亜炭の生産量は、石炭全体の5%程度です。下の図に示されるように、亜炭も石炭と同様一時は好況が続きましたが、1960年からは減産が続き、急速に終焉の時を迎えました。

亜炭生産量の推移と愛知県の生産比率の変化
(「充てん」45号稲崎,2004より)

東海地方の亜炭鉱業

亜炭生産量の県別比較の推移(稲崎, 2004より

 亜炭生産の中心だったのは愛知県・岐阜県などの東海地方で、日本の亜炭の40%前後を産出していました。下の図に示すように、とくに20世紀前半は、亜炭の大半は東海地方から産出したと言えるでしょう。