石炭や亜炭(腐植土の一種で、石炭化度の最も低い石炭)の採掘跡空洞、戦時中に作られた地下壕(防空壕)、戦災復興時に上部を埋めたままで放置されている地下室や管路など、現在放置されている地下空間は負の遺産として多く存在する。最近これら既存空洞の劣化による空洞崩壊や地盤の変状、すなわち 浅所陥没や地表沈下が発生し、住宅の倒壊のみならず道路陥没による死傷事故まで起こしている。また、豪雨時や地震時における地下空洞を有する地盤の不安定化に対しても検討を迫られている。
 東北地方とともに東海地方においても亜炭の掘削が盛んに行われてきた。東海地方の亜炭田中でも美濃炭田と尾張炭田での掘削がかなり活発であった。美濃炭田の中の可児炭田は御嵩地区で5層の亜炭層が稼行対象とされ、御嵩町を中心として明治2年に日本で初めて亜炭が本格的に採掘・利用され、戦後まで続いてきた。そのため 今日ではそれらの負は遺産として地盤環境上や今後の大地震による地盤防災上の問題を抱えることとなった。亜炭の廃坑跡は多くは残柱によって現在安定しているが(写真-4)、空洞周辺の岩盤の風化などによる劣化や地震力の影響で空洞天端の崩壊や残柱の破壊(写真-5,6)が起こると、地表沈下や浅所陥没を発生することに なる。
 1970年代に入ると東海地方の亜炭田における古洞によって田畑や家屋が陥没の被害を受け、また宅地開発における地盤の安定化が問題になってきた。
 1974年、当時の通商産業省名古屋通商産業局が古洞関連総合施策委員会を設けて、空洞充填工事の検討を始めて以来、実地に実験および多量の充填材を用いた実用化試験を重ね、空洞充填工法の開発を推進してきた。
 1977年に空洞充填実施の推進母体として日本充てん協会が設立され、それ以来今日まで亜炭廃坑の陥没防止・地盤の安定化の開発・啓蒙を行ってきている。名古屋市近郊では高蔵寺地区、志段味地区、長久手町の東部丘陵線の一部やその周辺の宅地造成地域における亜炭空洞の充填工事による空洞安定化対策と地盤陥没の防止に多く の実績をあげてきている

写真‐4 亜炭坑坑内の採掘状況
(御嵩町)
写真‐5 亜炭坑坑内の天盤の崩落(御嵩町)

写真‐6 亜炭坑坑内の残柱の破壊(御嵩町)